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土肥では毎年5月頃から密かに歌や踊りの練習を始める地区があります。

それは今年「土肥神社例大祭」の当番区にあたった地区の子供達やご婦人方達で、10月に行われる土肥八幡神社本祭の舞台で芸を披露するために連日懸命に頑張っています。



土肥神社例大祭とは、毎年10月の第三土曜日と日曜日に土肥で行われる八幡神社の秋のお祭りです。

小祭は、大晦日の大祓い、元旦の元旦祭、二月の節分祭、春祭り四月三日、土曜祭り七月土曜の日と順次執行されて10月には秋の大祭を迎えるの通例です。

明治35年頃までは陰暦9月15日に執行されたと云います。

土曜日宵祭り、これに先だち、神主は屋形地区の稲宮神社に出向き、祝詞を奏上するのが旧来のしきたりでありました。
日曜日には本祭、浜降式、流鏑馬の神事が行われます。

この日小土肥神社祭典当番区の若い衆と宿頭は酒二升持参して「マエー、マエー」と声をかけながら土肥神社へ参拝しますが、現在は二年に一度に変わりました。

屋形区内のだいち屋では社殿内の神馬(木製)に白餅を供えました。
この馬は安政の津波の際、だいち屋が奉納したもので、流鏑馬式出陣の際、木馬に食べさせる仕草を行った後、神代騎の二頭の馬に食べさせます。
神馬騎は正月の三日に当番にあたる地区が独身の男性から公平にくじ引きで選ばれます(2名)。

昭和初期頃までは神馬騎に選ばれた若者は八幡神社に十日ほどこもり身を清めたと云われていますが、現在は形だけとなりました。

神馬騎に選ばれた若者は祭典が行われている最中は地面に足をつけることが許されません。


前夜祭早朝である土曜日の朝、当番区が所持している屋台と千石船を当番地区から引き回し八幡神社に着けます。

引き回しの途中で太鼓をたたいたり、婦人達の手踊りなどを披露しながら土肥神社まで向かうのが各区とも共通しています。


前夜祭の神事はその年の正月に選ばれた神代騎は通称、一馬(いちうま)・二馬(にうま)とも呼ばれ、八幡神社本殿において大神様に報告する事から始まります。

次いで護国豊穣を祝う供物のお供えや「浦安の舞」の奉納などの行事が厳かに執り行われます。


いよいよ八幡神社例大祭前夜祭の始まりです。
皆さん日頃の練習の成果が実って殆どミスもなく芸を披露します。

秋の例大祭は町内八区が当番制で祭典を執行しています。

前夜祭は当番区が奉納の演芸を、子供、青年、婦人が中心となり行い、翌日の本祭も午後から夕方まで演芸が行われます。

昭和に入るとプロの歌手を呼んで奉納するのが流行となり、今もその流れが続いております。
最近での大物歌手では村田英雄さんや日野美加さん等がこの祭りに呼ばれて来た時もありました。



お百度参り
10月の第三土曜日に当番地区の若い衆はお百度参りをします。

かっては真夜中に行われ浜の石を拾って神社に戻り参詣するのが通例でした。

拾ってきた石は大鳥居に置き神殿の階段に置き若い衆が百箇交互に置く習わしです。



前夜祭の翌日の本祭は浜降り式から始まります。

神代騎を先頭に町内の大藪海岸に行き汐を汲みお清めをした後、大藪地区にある諏訪神社に神代騎、役員、氏子、青年が参拝すると云うものです。

その間、他の当番地区の住民はそれぞれのテーマに沿って扮した衣装を身にまとい、土肥の街中を歩いて行きます。

浜降り式の見物は当番区が行う仮装パレードであると云っても過言ではありません。


午後の1時頃、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮にならい、二騎の神馬騎は八幡神社大鳥居前で流鏑馬の式を行います。

昔は実際に弓から鏑矢を放ったそうですが現在は危険なので矢を射る真似だけをしています。

その後青年達が神馬騎を先頭に「マエー、マエー」と叫びながら約100m区間の道を3往復、馬と共に走ります。(通称:馬飛ばし)



流鏑馬式の終了後にまた夕方まで演芸が続きます。

そして日没近い夕方に当番地区住民は屋台や千石船を引っ張って皆で自分達の地区に帰っていきます。

こうして2日間に及ぶ土肥の例大祭は幕を閉じますが、当番地区住民は準備〜片付けまで約1週間仕事を休んで臨まなければならない大変な労力を要するお祭りなんです。









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